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2024年11月01日
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久々に

2009年06月08日
また随分と更新が滞ってしまった。
今日からは頑張ろうと思う。
色々とやってみたい事が多すぎて、あれやこれや手を伸ばしたくなる。
考えてみても仕方が無いので片っ端からやってみる事にしようと思いついた。
こんな単純なアイディアをなんで思いつかなかったのだろう?

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地下室の手記

2009年01月23日
 初めて「地下室の手記」を読んだのは3年くらい前だったと思う。先輩の家に遊びに行ったときに本棚にあったのを借りて読んだ。中篇小説なので新幹線で東京大阪間を往復する間に読み終えたのだが、これが物凄くおもしろかった。こんな本は読んだことが無い。作者は本当に頭が良くて文章が上手いと感動したものだ。
 「地下室の手記」はドストエフスキーの書いた中編小説だ。

市役所職員の中年男が、親戚の遺産を継いだことをきっかけに役所を辞めて、地下室で引き篭もり生活を始める。そしてこれまでの人生を手記に書き始める… 
 
というのが本書のあらすじだ。前半の3分の1ほどでは男の思想や主張が独白形式で語られ、後半3分の2では男が体験した非常に印象的なエピソードが物語り形式で語られる。

 最近本屋で「地下室の手記」をたまたま見かけて購入した。こうして久しぶりに読み返してみたのだが、これがやはり抜群におもしろい。ドスト氏といえば「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」が有名だが、私は断然地下室のほうが好きだ。本書には異様な迫力や、キワモノが持つ熱を感じる。主人公は風采のあがらない男だが、じつに頭の良い男である。フィクションの中でも、こんなに頭の良い人間は見たことが無い。これは要するに作者であるドスト氏が優秀なんだろう。漫画とかラノベを見てると、天才的に優秀なキャラクターがよく出てくる。でも、殆どのそういった「天才」って凄く薄っぺらい。IQ150とか難問を瞬時に解くとかメガネで無口とか変な癖があるとか子供の頃から抜きんでていたとか異常性があるとか…つまり「天才っぽい」記号をあてはめたキャラクターを、その他のキャラクターに賞賛させているだけなんだよね。一方、地下室の主人公はすごい。天才的なエピソードなんて全然ないし、賞賛してくれる人もいない。というより話をするような友達すらいない。お金も無くて背も低く顔もパッとしない。つまり、記号的に彼の優秀さを示すようなものは何も無いのだ。しかし彼の発言と行動から、彼は実はとんでもなく頭の良い人間なのではないかということが知れるのだ
 結局、物語の登場人物は作者の知性を超えられないんだと思う。優秀なキャラクターを出そうと思っても、結局そのキャラクターの思考を決定するのは作者な訳だから、どんなに頑張っても作者より優秀なキャラクターは無理ということ。そういう意味ではドストは本当に優秀でよく考える人だったんだなあ。
 本書は前半の3分の1で退屈になって挫折する人が多いと思う。でも後半は本当におもしろいから是非読むことをお勧めする。あまりにも苦痛だったら前半は全部飛ばしてもいいけどね。特に話が分からなくなるとかいうことはない。ただ、私は前半もかなりおもしろいと思ったけど。あと、本書を買うなら新潮文庫の江川卓訳がお勧め。最近出た新訳はイマイチだから、是非江川卓訳で。
 ちなみにこの本を貸してくれた先輩は、最初の3ページしか読んでいないらしい。

喜びと悲しみ

2009年01月05日
 正月も終わり、帰省先から戻る際の電車での時間つぶしにでもと、実家の本棚から一冊の文庫本を持ち出した。オー・ヘンリーの短編集である。おそらく中学時代に自分で買ったものだと思うが、殆ど内容を忘れていたので、なかなか楽しく読むことができた。

さて、短編集の中にはおおまかにいってッピーエンドとバッドエンドの作品があったのだが、私はバッドエンドの作品のほうがおもしろく感じた。ハッピーエンドの作品は、なんだか都合の良い甘い展開で、ご都合主義の出来すぎた作り話くさく感じたのだ。
私は短編ではバッドエンドの作品が好きだ。これはオー・ヘンリーに限らず誰の作品でも。しかし、小説・漫画・アニメを問わず、ある程度の長さを持った作品となると、別にバッドエンドが好きだという事も特にない。むしろ長くなればなるほど、ハッピーエンドを好むように思う。今までは特にそのことについては考えていなかったのだが、今回ちょっと考えてみた。

結論としては、
『悲しみは突然来るものであり、喜びは時間をかけて育むもの』
ということなのではないかと思う。事故や訃報にしても、悲しみは突然やってくる。前もって分かっていたら悲しくは無い。一方喜びは長い時間をかけて育むものではないか?くじに当たったり、懸賞が当たったりと、棚からボタモチ的な喜びもあることにはある。しかしそのような喜びよりも、長い間努力してスポーツ大会で勝った時や、大学に受かった時、時間をかけて造ったフィギュアが完成したときのほうが、遥かに喜びは大きかった。
このように考えると、短編には悲しい結末即ちバッドエンド、長編には喜びの結末即ちハッピーエンドが良く合うのではないか。今年は漫画も書いてみようかと思っているので、そのときはこの法則を使ってみたい。


















ですます調・である調

2008年12月27日
高校生くらいまでの間、私は「である調」の文章が好きではなかった。
読む分にはまあいいとしても、自分が書くとなると、必ずといっていいほど
「ですます調」で書いていた。小論文とかは別にして。
なぜかというと、「である調」は生意気で偉そうな印象を読む人に与えるの
ではないかと思ったからだ。
世間一般でも、「である調」に比べて「ですます調」のほうが、丁寧だったり
柔らかい印象を持たれているように思う。

しかし、最近「ですます調」で文章を書くことがあまり好きでなくなってきた。
ここ数年はレポートにしても個人的な日記にしても「である調」で書いている。
読むにしても書くにしても、「である調」のほうが好きになってきたのだ。
これには理由が二つある。
まず一つ目に、書く文章の量が少なくてすむということがある。
語尾の「~です」が「~だ」などに変わるだけなのだが、格段に読むスピードも
書くスピードもあがるように思う。
二つ目の理由は「ですます調」のほうが堅い印象を受けるからだ。
これは一見逆のように思えるが、逆ではない。
例えば否定の表現をする場合、「面白くないと思います。」と「面白くないと思う。」
ではどちらをキツイ表現と感じるだろうか?
主観だが、私は「面白くないとおもいます。」のほうがキツイ表現に感じる。
これは、普段から丁寧で紳士的な人から怒られるときの感覚に近いようなものだと思う。



院試受かった!!

2008年12月03日
院試受かった。
まあ受かるとは思ってたけどやっぱり嬉しいですね。
あとは研究室がどこになるかが問題だなー

0000559M.jpg 

ペンタブも練習練習









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